アバシリより

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名前についての二、三のこと

 みなさん、お久しぶりです。いくつか思うところがあってしばらくの間お休みをしていましたが、ぼちぼち再開しようと思います。その間にも何人かの方から応援のメールをいただきました。ありがとうございます。とても嬉しく全て拝読しましたが、よほどのことがない限りお返事は遠慮させていただこうと思います。ぜひライブに来ていただいて、そこでお話ししましょう。遠方の方はそこまで行けるように頑張りますのでしばしお待ちを…

 最初に断っておきたいのですが、今回のお話はあくまで私個人の意見なので、文句があるなら全て私が受け止めます。くれぐれもよろしくお願いします。

 「名前(呼称と言い換えてもいいでしょう)」をつけられた時、与えられるのは由来であって、その人達にとってはまだ、ただ区別されるだけの記号にすぎないのではないでしょうか。そこから長い年月をかけて意味を足していき、受け手側は愛着を覚える。こうして名前は定着していくんだと思います。なので「名前」は、取るに足らないものであると同時に、非常に重いものなのです。それを背負い続けるのも、捨てるのも勇気がいるんですよね。
 私の話をすると「網走」というの名は大学生のジャズ研時代に与えられたものです。もちろんこれは北海道の地名からとられたものですが、意味するところはまるで違います。この名前には私の人生を変えた美しき吹き溜まり、そこで関わった素晴らしきろくでなし達との日々で培ったものが含まれているのです。私はそれを勝手に背負っているつもりなのですが、囚われているように見える人もいるでしょう。「名前」とはつまりそういうものなのではないでしょうか。
 ちなみに「パウロ」という名前には私にとっての「正義」が、親からもらった名前には人生そのものが刻まれています。生まれたての名前に違和感があるのは当然です。そこから時間をかけて新たに意味が加わるのです。それを一緒に創っていきましょう。